「世界大博物図鑑」リニューアルによせて


著者 荒俣宏

 このたび私が8年の歳月をかけて完成させた『世界大博物図鑑(増補版2巻を除く全5巻)が、体裁を一新して再刊される運びになりました。私はいま67歳になりましたが、人生でこれほど熱く格闘したときはないといえるほど、体力と財力の全てを注いでつくりあげた作品です。旧版が出版された1980年代後半は、まだ「博物学」という言葉が「知」の海底地層のはるか下に埋没しており、その上にはおびただしい数の「現世」の学問の屍骸が厚く堆積していました。とても海底発掘などという悠長なことをしてはいられない、前進最優先の時代でした。たまに博物学に興味を持つ人がいたとしても、孤独と無視に耐えて「隠れキリシタン」のように人知れず生きていくしかない時代だったのです。

 博物学とは、この企画を最初に支持してくれた編集工学の開祖・松岡正剛(せいごう)さんが「存在を殖(ふ)やす学問」と紹介してくださった言葉に尽きています。ちょうど百科事典を編むように、新しい項目をどんどん追加していきながら総体への目配りを忘れることがない、綾やかで包括的なシステムです。嘘も誤りも、真実や事実と同様に大切な知識として活用できる体系でした。いいかえれば、知ることを喜ぶ「心のシステム」でした。しかし、それだけに扱いが大変で、結局現代社会では無用の長物に堕(だ)して終わった、といえるでしょう。

 私は子どものころから、古代人が持っていた知識のおもしろさ、その発想力の突飛さに魅せられていました。なぜ古代の知識が子どもを興奮させたのか。そこには、世界を脳だけでなく全身で受け止めたときに発する最も素朴な疑問に答えようとした「心意気」が宿っていたからだと思います。その意味では、現代の知よりもはるかに勇敢で、冒険的でもありました。

 たとえば、私が好きなのは「腹の虫」です。古くは人体に潜んで、ときどき宿主が犯した罪を天帝に密告する蟲(むし)のことでしたが、やがてお腹の中で声を発し、宿主の死が近いことを予言する霊虫になったり、現代にいうところの寄生虫からウイルスまでを含む感染病原菌すら想像により先取りした「寄生体の知識体系」ともなりました。私は「虫が知らせる」とか「虫の居所が悪い」という日常表現にも、博物学の知恵が活用されている事実を、この作業で発見できたのです。

 とすれば、海底深く埋もれた博物学を、埋もれたままにしておいていいはずはありません。私はこのときはじめて、今の目から見ると「たわごと」でしかない「古臭い知識」こそ、混迷する現代が振り返るべき知の原点であると確信したのでした。

 しかし、人聞は諦めがつけば何かを達成することができるようです。私は運がいいことに、江戸以来の博物学に深い関心を向けてこられた京大名誉教授・上野益三(ますぞう)先生に直接お日にかかることができ、激励をいただきました。「自分は大学にいたために、博物学の研究に給料は払えないといわれ、定年になるまで博物学研究に入れなかったのですよ」とおっしゃった姿を、今も忘れられません。また、慶鷹義塾大学の教養課程でどうやら学生の私に生物学を1年間教授してくださったらしい磯野直秀(なおひで)名誉教授は、その定年を前倒しされ、みずから自由の身になられ膨大な博物学書の読み直しに挑まれました。偉大な先学の励ましと導きがあって、私ごとき無知な者もこのような図鑑を完成できたのだと思います。

 また、その問、私は版元の下中邦彦(くにひこ)社長の支援をいただき、平凡社の編集室で寝起きしながら長い仕事にいどむことができました。さらに、この仕事を現場で支えてくださったのは、歴代にわたる担当編集者の方々と、あちこちの博物館を飛び回って資料探しや文書筆写をこなしていただいた多くの有能な助手のみなさんでした。思い出しても、頭が下がります。

 現在の私は、もはや老齢の身をさらすのみですから、この本に追加すべきことを何一つ持ち合わせません。それよりも、若い読者に博物 学の精神を受け継いでいただける機会が生まれたことを喜びます。大部な書籍ではありますが、ここに知の起源ともいうべき原生体を発掘 してくださることを、愉しみにしております。

新装版「世界大博物図鑑」全5巻

荒俣宏 著 

1.蟲類

昆虫のみならず、クモやムカデ、エピ・カニ類まで世界中の〈蟲〉が一堂にそろった〈蟲の百科全書〉。収録図版は1000点を超え、いずれも収集家垂誕の名品ばかり。

定価:本体19.500 円+税 574 頁

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2.魚類

おなじみのコイやアユから、目撃例が一度しかない深海魚まで、魚の自然誌をもれなく記す。ルナールによる世界最初の原色図譜ほか貴重な図版を満載した驚天動地の一冊。

定価:本体19.500 円+税 540 頁

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3.両生・爬虫類

カエル、ヘピから龍、ドラゴンにいたるまで、 両生・~虫類の博物誌を古今東西の丈献から 集大成。ゲスナー、セバなどの16~17世紀の 貴重なカラー図版も収録。

定価:本体16.000 円+税 378 頁

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4.鳥類

ダチョウからカラスまで、鳥の博物誌を詳しく、〈天界の生物〉の秘密を明かす。グールドやルヴァイヤンなど博物学史上に燦然と輝く名著の図版を掲載。

定価:本体17.500 円十税 446 頁

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5.哺乳類

ヒトを筆頭にしてネズミからクジラまで、地球上のあらゆる晴乳類について語り尽くす。シュレーバー、シンツなどの傑作図譜から、秀作ばかりを選りすぐって披露する。

定価:本体17.500 円+税 456 頁

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